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短編小説「幽霊小屋相談所」(仮)

「幽霊小屋相談所」(仮)


エピソード1


「あぁ、点滅してる。ほら、この線。彼女と何かあったね。喧嘩をしたとか? でも、点滅の感覚がだんだんと短くなってる。どうも喧嘩っていうレベルじゃないね。警告を示しているみたいな速さだ。と、思ったら、今度は線が消えかかってる。別れ話が出てるとか、いや、別れるな。これは」

 琴ちゃんがそう言うと、先輩は「怖え~!」と言って差し出している手のひらをサッと引っ込めた。


* * *


 琴ちゃんというのは、美術同好会で知り合った友だちだ。今まで私が出会ってきた友だちの誰とも合致しないタイプの人で、こちらから話しかければ答えてくれるのだが、それ以外は無口だ。話をする時は目も合わせない。普段はテンションが低く、愛想も決してよくない。出会った頃は、私のことが嫌いなのだろうか? それとも単に極度の人見知りなのだろうか? と思って気を遣っていた。ただでさえ、私は人に気を遣うほうだ。だから琴ちゃんに慣れるまでは、帰宅をするといつもぐったりしていた。他に誰かがいればここまで琴ちゃんに気を遣うことはなかったのだろうけど、何しろ部員は私と琴ちゃんの2人だけだったのだ。


 私は子どもの頃から漫画を描くのが好きで、小・中・高と漫画部に所属していた。大学には残念ながら漫画部はなく、絵が描けるといえば美術同好会に入部するしかなかったのだった。漫画を描くのが好きな仲間たちと和気藹々、楽しく活動をすることを夢見ていたのだけど、その夢ははかなくも崩れ去った。

 現在は同好会になってしまったのだが、昔は、大学の校舎内に割り当てられている正式な部室のある「部」だったらしい。ああ、美術「部」。なんて格式高い名称なのだろうか。校内から無慈悲にも追い出された部室は、校舎からだいぶ離れたところに建っているほぼ倉庫と言っても過言ではない、広さだけはバッチリ確保されている小屋に成り下がった。部室のある小屋に近づくにつれ、お洒落なレンガ敷きの道はコンクリートに変わり、ヒビが入ったところからは雑草がちらほらと生え出し、それがくるぶしあたりにまで生茂り、膝丈から腰まで届く勢いの道なき道に変わっていく。獣道をゆく、私は獣か。そんな気持ちになることがある。雨が降っている日は特にそうだ。


 床はコンクリート張りで、扇風機とストーブは数台ずつあるのだが、夏は暑く冬は冷蔵庫の中にいるようだ。過酷この上ない。特に足先が冷えるから、秋が深まる頃になると霜焼けがこんにちはと顔を覗かせる。そのような場所に間借りをしているような惨めな感じだ。他にも部室になりそうな建物はあるのだが、美術同好会にとって水道は必須。この「幽霊小屋」という愛称のある小屋にだけは水道が付いていた。つまり、必然的にこの小屋しかなかったということだったらしい。


 初めて部室を訪れた時、中にいたのは琴ちゃんと4年生の先輩の2人だけだった。先輩は私を見ると、目をキラキラと輝かせながら大袈裟に手招きをした。

「わぁ! いらっしゃい! 良かったわ! 嬉しいわ! 1年生の霧島紗江さんだよね?! どうぞ、入って。こっち、こっち! 嬉しいわぁ、2人とも来てくれたのね!」

 天井やそこここに乱雑に置かれているイーゼルや画板や石膏像などに張り巡らされている蜘蛛の巣群。そこには、一体何年分の?と、思うほどに蓄積している埃が、もう既に埃という名前ではない物体と化していた。

 部室の様子を目の当たりにして、私は美術同好会に来たことを後悔しながら、でも、先輩の必死ともいえる笑顔に応えなくちゃと、おそらく口元は引きつっていたのだろうが、つとめて愛想良くしながら一歩を踏み入れた。

「大山琴子さん、霧島紗江さん、美術同好会へようこそ! 改めまして、私は部長をしている4年生の佐々木と言います。今日、ここには来ていないんだけど、部員はちゃーんと他にもいるんだよ。ほーら32人も!っていうか、私以外はみんな幽霊部員なんだけどね。だから、この部室は幽霊小屋って言われているの。あははは」と、先輩は場を盛り上げようとおちゃらけながら名簿を開いて見せた。

 部室の使い方やこれまでの活動のことなどをひと通り説明されると、「卒論と就活に専念したいから」と、佐々木先輩は私と琴ちゃんのどちらかに部長になってほしいという言葉を残して、この日以降、部室には来なくなった。結局、他の入部希望者も現れず、私と琴ちゃんの2人だけでの活動が始まった。

 部長決めはというと、「どっちが部長になってくれるかな?」と、佐々木先輩が言うや否や琴ちゃんが「最初はグー! ジャンケンポン!」と、いきなり大きな声で言うものだから、慌ててグーを出したままでいたら、琴ちゃんはパーを出していて、到底納得できるものではなかったのだけど、結果的に私が部長になることに。直後、片方の口角を上げてニヤリとした琴ちゃんの表情を私は一生涯忘れることはないだろう。


 埃まみれの広い空間には、私と琴ちゃんの二人っきり。

 イーゼルや画板の数から察するに、過去には多くの部員たちで賑わっていたのだろう。モデルにも来てもらってクロッキーをしていたようだ。ところどころに茶色や黄色の染みができている数枚の裸婦画を発見した。それらはとても上手に描けていた。

 琴ちゃんからは、これ以上は近づかないでとでも言うような、目には見えないバリアのようなものを感じていた。部長決めの時に大声を出した以来、琴ちゃんは大声を出すことはなく、話をする時は聞こえるか聞こえないかくらいの音量だから、何を言っているのかを聞き取るのにも気を遣った。

 私から始めた会話が終わってしまうと、ここは空気がない宇宙空間なのだろうかと錯覚してしまうほどの広大な静けさが充満する。無酸素状態に肺が押しつぶされそうな空気感にアップアップしながら、新鮮な酸素を得ようと必死に会話の糸口を探したりもした。が、全ては無駄な努力に終わった。

 だから、私も琴ちゃんのように話もせず、自分の作業に取り掛かることにした。そういうふうにしながら琴ちゃんを何気に観察していると気づいたことがあった。琴ちゃんは、ものすごい集中力の持ち主なのかもしれないということを。絵を描いている時だけじゃなくて、ただボーッとしているように見える時もバリアのようなものは感じていたが、バリアを張っているのではなくて、何かに集中しすぎて意識が別次元に飛んでしまっているのではないかと。

 それというのも、私は漫画を描いていてもわりと気が散って作業を止めてしまう。飴を舐めたり、ジュースを飲んだり、スマホを取り出したり。でも、琴ちゃんは一度作業を開始すると、ずっと座りっぱなしだ。トイレに行くことも稀だ。

 どうやら私は嫌われてはいないのかもしれないということが分かって安心した。


 それから程なくしたある日のこと。琴ちゃんが部室に入って来ると、ゼリー状の経口補水液をポンと渡された。

「霧島さん、お腹の調子よくないでしょう」

 確かにそうだった。私の性格もあって琴ちゃんだけじゃなく、他にも色々と気を遣うことがあって自律神経失調症気味だったのだ。私のことなど眼中にない感じだったのに、それなりに気にかけてくれていたんだということを知って嬉しかったが、私にはっきりと聞こえる音量で話しかけてくれたことにも驚いた。

「え? どうしてそう思ったの?」

「だって、霧島さんのお腹のあたりドス黒いからさ。しばらく前から気になってたんだけどね。ドス黒い煙が渦巻いてる感じ。あ、でも煙は大した量じゃないし、感触も重たくないし。病気っていう感じではないと思うよ。ストレスっていう感じかな。多分ね。でも、ストレスも過ぎると病気になってしまうから注意が必要だけど。食欲ないかもだけど、水分だけでもとったほうがいいよ。白湯とか、スポーツ飲料とかさ。ん? でも、ちょっと待って。口の中が甘くなってきた。なんだこれは。クリームか? クリームとプリンの組み合わせの味が。ちょっと、霧島さん、プリンを食べたでしょう。クリームが乗っかったプリンのカップを! 売店で売ってるやつ。食欲がなくても甘いものは食べられるみたいだね。プリンには卵も入っているからタンパク質は取れてるね。まぁ、食べられるものを食べたらいいと思うけど、程々にしなよ。甘いものは太るし。何より体に良くない」

 琴ちゃんは、私の目をまっすぐ見つめながら、テンション高めで嬉しそうに早口でそう伝えてきた。

 なんでクリームが乗っかったプリンを食べたことが分かったのだろうか。しばらく状況が飲み込めなくて私はポカーンとしていた。

「あ、う、うん。ありがとう。気を付けるね」

 そう言うと、琴ちゃんは満足したように笑顔を向けると、自分の机に向かって作業を開始した。

 私は、何が起こったのか理解できずにいたが、何故だか全身に鳥肌が立っていた。


 次の日、友だちに琴ちゃんから言われたことを話すと、友だちが興奮して自分もみてほしいと言い出した。その後は、あっという間に噂が広がって、しばらくすると部室には行列ができるようになった。


* * *


「お前、すげーな。今までもそう思ってたけど、やっぱすげーよ。まだ誰にも言っていなかったけど、俺、彼女と別れようと思ってるんだ。実は、他に気になる子が現れちゃってさ。一緒にいるところを彼女の友だちに見つかって、その後、修羅場になっちゃって」

 先輩は鳥肌が立っている自分の腕をマジマジと見つめながら琴ちゃんに言った。

「だね。彼女のほうも別れたいと思っているのを感じるよ。っていうか、彼女のほうは少し前から気持ちが離れていたみたい。気が済むまで泣いてスッキリしている感じ」

「彼女は俺に未練はないんだね。良かった。それが気になってたんだ。大山さん、ありがとう!」そう言って、先輩は椅子から立ち上がろうとした。

「ちょっと待って。これ今言っちゃってもいいのかな。楽しみに取っておいた方がいいかな」

「え? 何? そこまで言われたら気になるから言ってよ」

「だよね。じゃあ、言うよ。これは必然の別れだよ。彼女はそれを知らないし、知るよしもないけど。彼女の意識よりももっともっと奥のほうではちゃんとわかっているから」

「わかっているって何を?」

「先輩が結婚相手と出会ったことを」

「え? 結婚相手?」

「そう。先輩が新たに気になっている子は、先輩といずれ結婚をする子。結婚するまで5、6年はかかるけど。今までの彼女は身を引くんだよ。奥のほうではわかっているからさ。最初から別れることがわかっていて、それでも彼女は付き合うっていうことを選んだんだ。過去の時点では既にちゃんとわかっていて、今、別れるんだ」

 琴ちゃんがそう言うと、

「彼女の奥のほうって一体何なんだよ。奥ってよ。何のことだかよくわからねぇけど。けど、彼女は身を引いてくれるんだな。俺、彼女にひどいことも言ってしまったから、悪かったなぁ。彼女に会ってちゃんと話をするよ」

と言いながら、先輩の目がウルっとした。私は先輩にティッシュを渡すと、私もつられてウルッときてしまった。涙を拭くと先輩は笑顔で幽霊小屋を後にした。


 相談に乗っているときの琴ちゃんは、相手の目をまっすぐ見つめ、早口でテンション高く、とっても生き生きとしている。このために生まれてきたのではないかと思うほどだ。相談以外の場では、まったくの真逆なのだが。

 こうして、美術同好会の部員以外は誰も寄り付かなかった「幽霊小屋」は、いつしか琴ちゃんの相談所になってしまったというわけだ。


 私は、次の相談者を招き入れるために外に出た。

「はい。次の方どうぞ」


おわり

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