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短編小説「カラスの朝食」


いつになく強い風が吹いていて、その風がすべての雲を空から一掃したような、そんな眩しいほどの青空が広がる寒い冬の朝。

青い空の左側からバッサバッサという音ともに、大きな黒い影が視界に入ってきた。


団地の屋上のヘリに、カラスが降り立った。


何かを咥えていたのだろう。

屋上のヘリに咥えていた何かを置いた。


小さなものではなさそうだ。

多分、それなりの大きさのものを置いた、そんな重みを感じる置き方だった。

朝食を見つけてきたのだろう。


そう感じた。


咥えていた朝食を置いて、下の方にいる私を見つめてきた。

私もカラスを見て、ニッコリと挨拶をした。


「カラスさん、おはよう!

良さそうな朝食を見つけてきたんだね?」


無意味だとは思ったがカラスに手を振り、思い出したように慌ててゴミ置場に走った。




知的障がいがある息子は、毎朝スクールバスに乗って登校する。

スクールバス停に車で送って行くのが私の日課だ。


マイペースな息子を、怒らせることなく、フリーズさせることなく、いかにしてスムーズに、スクールバスに間に合うように連れて行くかが、毎朝のプレッシャーと戦いでもある。


もう1年以上前になるだろう。

息子は、自分でゲップを生み出すことに成功した喜びで、それからは、水や空気を大量に飲み込んではゲップを生み出して遊んでいる。

常識をはるかに超えた回数と音は、時に、音だけではなく、固形物までをも口から外へと生み出すことがある。


息子の辞書には「恥」という文字がおそらくないのだろう。

自宅だけではなく、電車の中やスーパーや飲食店でも、彼はそれを連発させる。


嘔吐寸前の不快な音や声も、彼の得意とするところだ。

周りにいる人たちは、当然びっくりして振り返る。

インフルエンザや食中毒が流行する冬場のスーパーではなおのこと。

私は、しょっちゅう「申し訳ありません」と頭を下げて回る。

息子との外出は、決まって気が休まらない。


息子の心に多大なるワクワクと喜びと、脳にとっては刺激を与え続けているこのゲップの遊びは、彼のすべての動きを止めてしまう力がある。

ゲップの遊びが始まるまでは、息子は食事を終えるとすぐに立って、自分の食器を片付けてくれていた。

しかし、ゲップの遊びを知ってからは、食事中からずっとゲップで遊んでいる。

食後は食後で、食後のゲップを楽しんでいる。

だから、ピクリとも動かない。

彼が動くのを辛抱強く待つのだが、スクールバスは待っていてはくれない。

強制をすると彼は激しく怒り出し、頑として動かなくなってしまうのを知っているので、下手に手出しはできない。

でも、スクールバスは待っていてはくれない。


案の定、今朝もスクールバスの発車時刻スレスレになってしまった。

カラスに挨拶をした後、後方からゲップの音をリズミカルにさせながら、ゆったりと歩いてくる息子がすぐに乗車できるように、走って車に向かいキーを開け、その先にあるゴミ置場に突進した。



と、ゴミ置場の前には、穴があいたビニール袋と、激しく散乱しているゴミが待ち構えていた。


折しも強風が吹き荒れる中、ゴミ達は、はるか先の方まで転がっていってしまっている。

先の方にもビニール袋が風に乗って運ばれていた。


私は、団地の屋上に目をやった。

私の動向をじっと見ていたのだろうか。

カラスも私の方に顔を向けていた。

「してやったり」

とでも思ったのだろうか。


掃除をしていたら確実にスクールバスには間に合わなくなってしまう。

帰宅をしたら掃除をしようと決めて、慌てて車を走らせた。

スクールバスの発車時刻数秒前に、運転手に認識してもらえる位置に行き、大げさにアピールするつもりで車を停め、間に合った。



帰宅してすぐに新しいビニール袋を持ち、使い捨てビニール手袋を両手にはめてゴミ置場に向かった。


ゴミは風に運ばれ、さらに散らばっていた。

ゴミ置場にかけてある網の中からカラスが引っ張り出したのか、捨てにきた人が網の中にゴミ袋を入れなかったのかは分からないが、2つのゴミが入ったビニール袋に大きな穴が開けられ、散乱していた。


鼻血が出たのだろう。

赤く染まった小さなティッシュの塊がそこかしこに。

明細が書かれたハガキ。

同じ団地の住所の断片。

お菓子の袋。

メモ書き。

大きめの生のエビが5、6匹。

野菜のくずたち。


この団地のゴミ置場は、住民だけが利用してはいない。

近隣のゴミ置場でもある。

しょっちゅう、ゴミ置場の網の外側では、中身が散乱した状態で放置されている。


散乱したゴミに気づいて掃除をする時は、いつもただただ掃除しているだけだが、今朝は違った。


私はゴミを捨てる時、身元が判るものはシュレッダーにかけている。

さらにそれらを広告などに包んで捨てる。

生ゴミも新聞紙や広告に包んで捨てている。

でも、自分が出すゴミは、中身を見られても別に大丈夫だろうという思いがあることを、今朝のこの体験で知った。


これからは、自分が出すゴミについて、もっと気をつけようと思った。

ゴミは、元の持ち主に関する多くの情報を語ってくれていることを感じたからだ。


食の好みは何か。

健康状態。

家族構成。

性別。

経済的な情報。

住んでいる場所。

交友関係。

性格の一部。

など…


ゴミの持ち主について、イメージを広げ膨らませていくことは十分に可能だ。

彼らの人生のストーリーさえも見えてくるかも知れない。



掃除をしていると、おじいさんが話しかけてきた。

「ご苦労様。

きちんと捨てない人がいるんだよね。けしからんね」


私は、カラスのことを思い出して言った。

「ありがとうございます。

そうですよね。

でも、そのおかげでカラスは美味しい朝食にありつけたみたいです」


おじいさんは意外なことを言われたような表情になって、

「んん…。でもさ、カラスのエサまで気にかける必要はないよね…」

と笑いながら、「じゃあね」と立ち去った。



鼻血が染み込んだティッシュを見つけるたびに気持ちが悪くなるのを感じたが、風に運ばれていった先の方まで丁寧にゴミを拾って、真新しいビニール袋にそれらを集めた。


ゴミ置場に戻って網を深々とかけ、ふと団地の屋上に目をやった。


おかわりは、もう狙えないと思ったのだろうか?

すでにカラスはどこかへと消えた後だった。


終わり



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