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短編小説「Reborn in late summer」

 今年のお盆はずっと雨が降って、いきなり秋がやってきたような肌寒い日が続いた。

 ある日の夕方、静かに降っていた雨が止むと、ヒグラシのカナカナカナがどこからともなく聞こえてきた。ヒグラシの鳴きごえを聞くと体が秋だと判断をするようだ。そして、私は心地よい安心感を無条件に手にする。

 私が生まれたのは、1年を通して暑い南国だったのだが、夏は最も苦手な季節だったりする。私が1番好きな季節は秋だ。段々と寒くなっていく過程がいつからだろうか、好きになった。中でも、室内で耐えられるくらいの寒さがある晩秋が一番好きらしい。晩秋という漢字からも、バンシュウという音からも、懐の深さと温かみを感じられるのだ。全てが許されていて、安全が確保されていると、晩秋がそっと囁いてくれるように感じる。

 完全に冬が訪れると、私は春を遥かに通り越した先の秋の到来を早々と求めてしまう。春の暖かさは好きだ。だけど、それはあまりにも早足で過ぎ去っていく。春の暖かさは夏の暑さを連想という形で連れてくる。だから、春の暖かさを味わい、心地よさに全身を預けようとすると、すかさず夏の暑さを思い出して気持ちがどんよりとしてしまう。


 真夏の空自体は、嫌いではない。でも、真夏の空は色がはっきりとし過ぎていて、そこに激しい自己主張を感じてしまう。すぐに表情も変えるし、変え方も激しいところがある。空は空であって、自己主張などはしないのはわかっている。どうも私の中にある真夏の空には人格があるらしい。周りを振り回すほどの感情の起伏の激しさを持ち合わせた人格として。そのエネルギーの強さはどこか単純で無邪気で遠慮がない。そこが気に食わない。いや、気に食わないのではなくて、羨ましいと思っているのかもしれない。

 夏や暑さが苦手だと散々言ったが、体が慣れてくると、思っているほど悪いものではないと感じたりもする。体も心も妙に元気なのは、1年の中で夏だったりするからだ。それは認める。


 雨が根気よく降っていた期間が終了すると、次の日には嘘のように真夏の空が戻ってきた。肌寒いくらいだった日々に心地よさを感じていたが、10日以上もグレーを帯びた中に居続けるというのは、精神的にストレスにもなる。だから、目が覚めたときにカーテン越しに晴れていることを知って、身体中が喜びに溢れた。窓を開けると、昨日までの涼しさと黒い雲が残っていて、ホーッとする心地よさに浸ってみた。


 仕事がひと段落し、ベランダに出てしばし空を眺める。朝いちで窓を開けたときは、まだ涼しさが残っていたのだが、数時間が経つと、暑さの割合がぐーんと増えていた。お昼頃にはもっと暑くなるのだろう。眩しいくらいの真っ青な空に、これでもかと盛り上げたソフトクリームのような雲があちらこちらに出現していた。その堂々たる姿に感動を覚えつつ、濁りのない精悍な青とモクモクの白を眺めていると、口の中が甘みと刺激を欲しがりだす。パブロフの犬とか、梅干しを見て唾がジュワーっと出るとか、そんな感じだ。


「今日はいいよね」

 ベランダには私以外の誰もいないし、いつだって誰からもダメとは言われていないが、声に出して自分自身に許可を求める。私に対して一番厳しいのは、他でもな私自身だが、一番甘いのも私自身だったりする。

『あのさ、8月に入ってからすでに3個もだよ。2個だけの約束じゃなかったんだっけ?』と、心がため息混じりの返事をする。

「そうだけどさ、ねぇ、大丈夫だよ。今日食べたら、9月まで我慢するからさ」

 そう言ってみたら、すかさず『我慢できるわけがないじゃない』と、心が口を尖らせながら答えてきた。次の瞬間、『あぁ』と、心が呆れたように声を漏らした。私は、心の返事がどうであったとしても、アイスと炭酸入りのジュースを買うことを決意し、玄関のドアを開けた。大丈夫、まだ午前中のうちならセーフだ! マンションの外に出ると日傘をバサッと広げて、最寄りのコンビニに意気揚々と向かった。

 狙うは小さなカップではない。前々から目をつけていたパフェ並みのビッグサイズだ! ビッグサイズを食べるのは流石に躊躇してしまい、決意するまでに時間を要した。何日も悩んだ末に、今日こそはそれを買うと決めたのだ。心が『あちゃ~』と頭を抱えているのを感じたが、無視を決めこんだ。カゴに入れたのは、チョコレートアイスパフェと、ストロベリーチーズケーキアイスパフェの2つ。どちらかひとつを選べだなんて酷な話だ。だから、2つともカゴに入れた。ひとつは帰ってすぐに食べて、もうひとつは9月に入ってからの楽しみにとっておこう。

 次は、飲み物の冷蔵庫へ。甘い炭酸入りのジュースを見つけて扉を開けた。だが、アイスを2つ手にしたときほどの勇ましさはどこへやら、急に迷いが生じて、無糖の炭酸入りウォーターを手にとった。せめてもと、レモン風味の強炭酸水を。『あれれぇ? 甘い炭酸のジュースを買うんじゃなかったっけぇ』と、心が意地悪そうに言ってきた。

『いやね、違うんだって。アイスは甘いでしょう。しかもパフェサイズだし。ジュースも甘いとさすがに飽きちゃうかなぁって。だから、無糖のちょっと酸っぱい風味の方が、アイスの美味しさが引き立つかなぁって』

 心の中の言い訳が声になって飛び出さないように気を配りながら、何ごともないかのようにしてレジの列に並んだ。この日は、帰宅をしてチョコレートアイスパフェを心ゆくまで楽しんだ。甘いものを摂取するなら、夜よりも昼よりも、断然、朝のほうがいいに決まっている。大きいだけあって食べ応え十分で大満足したのだが、食べている途中で、全部の歯が冷え切って痛み出した。アイスを食べて歯が痛み出すなんて初めての体験だ。歳をとったからだろうか。

 甘い炭酸入りのジュースを本当は飲みたかったのだが、50歳を過ぎてからは、今までと同じように筋トレをしても体内脂肪がちょっとずつ増えるようになってきたのだ。毎朝、体重計に乗って数値を確認する。体内脂肪だけじゃく、体内年齢も3歳ほど増えてしまった。40代のときに30代半ばだった体内年齢数値が、ソロリソロリと40代に近づいてきている。食べたら食べただけ、正直に数値に現れる。体内脂肪が増えるよりもショックなのは、体内年齢が上がることだ。どうしてショックなのかという理由もちゃんとある。だけど、甘いものを食べたい衝動には逆らえないのも事実。


 真夏が戻ったのは2日間だけだった。正確には1日半ちょっと。またすぐに肌寒い雨の日に逆戻りした。そして、今日も止むことなく雨が降り続いている。いつも洗濯は夜の間にして、寝る前に部屋に干す。暑い夜は、クーラーを2時間ほどつけておくと、次の日には乾いている。そうして朝イチで畳んで片付ける。だけど、肌寒い日の夜はクーラーをつけたくない。なんとなく生がわき特有の臭いを感じながら朝を迎える。

 今朝もそうだった。出かける前にクーラーにタイマーをつけ、扇風機も回して部屋のドアを閉めた。帰る頃には乾いているだろう。誰かがいてくれれば、洗濯物を畳んでと頼めるのだが、残念ながら、いい人とのご縁がなかった。ときめく出会いはあったのだが、私の片思いで終わってしまった。と、言っても告白すらしていない。だから、関係が進展するわけないか。私自身の容姿に自信はない。女性としての肉体的魅力もゼロだ。コミュニケーションも得意ではない。そのうちに白髪もシミもシワも一気に増えた。こうして、独身のまま54歳を迎えた。


 真夏の青空のような性格だったら今頃、もしかしたら。


 でも、だからと言って、私のほとんどは諦めているかもしれないが、一部分だけは諦めていないのを感じるのだ。ブサイクはブサイクなりに、身嗜みには気をつけるようになった――50歳を過ぎてからなのだが――。それまでは、多分、独立して始めたイラストレーターの仕事が忙しくて、自分のことにまで手をかける時間が取れないことを言い訳にして、その実は面倒臭さが真っ先に立ってしまっていたのだと思う。積極的に外に出ていく仕事ではないから、出会うチャンスもない。それに、どうせ、私の恋愛は成就はしないのだろうから。今までもそうだったし。好きになっても相手は私に気付いてくれないのだから。

 50代よりは40代、40代よりは30代、何よりも男性にとっては20代の女性がよいに決まっている。はぁ。


 25歳のときに参加した高校の同窓会で広瀬くんの誘いを素直に受けていれば、今頃、もしかしたら。


 お察しの通り、私は今まで誰とも付き合った経験がないのだ。洋服などは着られればなんでもよくて、お洒落などしたことがなかった。勤めている頃は、人並みに化粧を施していたのだが、独立をしてからは、たまに口紅を塗る程度で、スーパーやコンビニに行くくらいはスッピンでも平気だったりする。

 でも、手を握って抱きしめられてキスをした経験は1回だけある。30代のとき、同僚数人との飲み会での席だった。私もほどよく酔っていたし、どういう経緯でそうなったかは記憶にないのだが、頭にネクタイをしめた同僚の1人がいきなり私の左手を握ってきたかと思ったら、そのまま抱きしめられ、唇を奪われてしまった。ビールやら焼酎が混ざったようなキスの味がした。私はそれで酔いがすっかり覚めて、同僚を両手で突っぱね、バッグを持ってその場から逃げた。事故のような経験だったが、私にとっては憧れていた初キッスだったのだ。気持ちが悪かったのだが、一方で、キスをしてきた同僚のことが気になって、頭から離れなくなってしまった。手を握られた感触も、力強く抱きしめられた感触も、柔らかな唇も少しだけ触れた彼の舌も、生々しくいつまでも私の中に残っていた。

 飲み会のあとに訪れた月曜日の朝、同僚たちにはほとんど記憶が残っていなかった。残っていたかもしれないが、すべては酒の席での出来事と片付けられていたのだろう。キスをしてきた同僚とは、親しいわけではない。他の同僚とも親しいと言える人はいなかった。誰にも言えずに、密かに彼のことを思っていた。そのうちに、彼には別の部署にいる可愛い年下の彼女ができ、程なくして結婚をしてしまった。それから私は、飲み会に誘われることがあっても断るようになった。もうあんな惨めな体験は2度と嫌だったのだ。

 

 ボーッと考えながら、首を大きく横に降って現実に戻る。『もしもあのときこうしていたら、今頃は』だなんて、今さら何度考えたって意味はない。もう20代はとっくの昔に通り過ぎた。今は50代なのだ。心の中がいまだに20代の私であってもだ。

 いつだったか、タイトルに惹かれて小説を購入したのだが、パラレルワールドをテーマにしていた。最近、たまたまテレビで過去に公開された映画が放送されたのだが、偶然にもパラレルワールドがテーマになっていた。それもあって、私は『もしもあのときこうしていたら、今頃は』と、ボーッと考えることが増えたのかもしれない。


 今年に入って、キュンキュンとときめく出会いがあった。身嗜みに気をつけるようになったのも、私の一部分だけが、必死にしがみつくように諦めていないのも、体内年齢の数値ができるだけ若くて20代に近いほうがよいのも、それが大きな理由だったりする。残念ながら、相手は20代の男性なのだが。どんなに私が身なりを整えても、お洒落に気を配っても、眉毛を完璧に描けたとしても、ちょっとだけ若く見せようとチークに明るい色を載せても、50代という事実を塗り替えることはできない。それこそ、最初から進展など夢のまた夢のそのまた夢の夢の……。

『ああ、いいよ。もういいよ』と、心が内側から私をハグしてくれた。『ありがとう。あなたとはなんでも話せるし、喧嘩もできるのにね』と、心に向かってお礼を言った。自分とばかり会話をするようになるなんて、20代の自分は思いもしないだろう。



 あれ? どこまで読んでいたっけ? 読みかけの小説を広げながら、私はまたボーッといろいろなことを考え込んでいたようだ。お気に入りの窓際の席に座って、いつものホットカフェオレを飲みながら本を読んでいた。

 今年の3月頃。画材を購入して帰る途中、雨が急に降ってきたので、この喫茶店に入ったのが始まりだった。そこで窓際のこの席に案内してくれたのが、彼だったのだ。どきっとすると『一目惚れだね』と、心がニヤついたのを感じた。その瞬間、私の全身は20代に戻っていた。正確には、私の意識だけが戻ったのだが。

 喫茶店の窓はとても広く大きくて、ときおり窓ガラスに彼の姿が映ると、それを眺めていた。彼を直接見つめていたいが、そうするわけにもいかない。私から、しかも54歳の女性から熱視線を向けられて喜ぶ男性はいないだろう。気持ち悪がれるだけだ。

 

 あの飲み会の後、1ヶ月くらい過ぎた頃だっただろうか。お昼休みに給湯室に来て欲しいと呼ばれて行くと、同僚の女性が2人待っていた。どうも、私にキスをしてきた同僚の男性が、待っていた2人の同僚の女性のうちの1人に相談をしたらしい。

「杉野さん、ほら、飲み会をしたじゃない? その後かららしいんだけど、いつも若山さんのことをじーっと見てるんだって? 若山さんが気持ち悪がってしまって、仕事に集中できないって困っているみたいでさ。やめてあげてくれないかなぁ」

『そんな……』

 ショックだった。私は、時折気になってチラッと見ていただけだったのに。じーっとだなんて。そんなに見つめていなかったのに。若山さん、私のこと気持ち悪いって感じていたんだ。

 だから、それからは気になる人ができても、気持ち悪がられてしまうかもしれないと、直接相手を見ることに対してちょっとした恐怖が湧くようになった。


 こうして、彼に会いたくて仕事の合間に喫茶店に出かけるようになった。私はすっかり常連になり、同年代のマスターと話をするうちに、彼とも世間話をするまでに親しくなったのだった。なんだか、思いを寄せている相手と初めて関係が進展したような感覚を得て、私はそれだけで満足していた。彼は、藤野智紀という。将来は自分の喫茶店を持つのが夢だと話してくれた。彼がコーヒーを入れている、その隣には私が……いるわけがないか。想像の中の20代の私は、いとも簡単に50代の姿にすり替わる。『せめて想像の中だけでも20代の姿を保てばいいのに。わざわざ50代の姿に映像をすり替えなくても』と、心が哀れむように言う。


 また考えごとをしていたようだ。広げた小説に意識を再び向けた。私の右側に広がっている景色は、相変わらず雨一色だ。雨の音を聞きながら、小説の続きを読み始めた。しばらくすると、私の後方から、ブーッと長めのクラクションが聞こえてきた。トラックだろうか。音が消えたと思ったら、もう少し近づいたところで再びブーッと、1回目よりもさらに長めのクラクションが、ここにいるすべてのものに向かって警告を発するかのように鳴り響いた。

 直後、何が起こったのかわからないまま、ガラスが木っ端微塵に砕け散る音とともに、私の右側に今まで体験したことがないくらいの衝撃を受けた。大きな車が喫茶店の窓ガラスに向かって突っ込んできたのだった。車の接近に気がついたときにはすでに遅く、私は逃げることができなかった。


 

 「大丈夫ですか? いかがされましたか?」と、いう声でハッとした。私の目の前には男性が座っていて、心配そうに私のことを見ていた。30代といったところだろうか。目を下に向けると、机の上には小説が開いた状態で置いてあり、右側には床から天井までの大きな窓ガラスがあった。窓ガラスは割れてはいない。外は相変わらず雨が降っている。だが、窓の外の景色が喫茶店のそれとは異なっていた。

『あれ? 私、死んだんじゃなかったの?』と、心の中で呟いたはずなのだが、声に出ていたようだ。

「広瀬さん、死んだって、どういうことですか?」

 目の前の男性が問いかけてきた。

「あ、いえ、あの、大きな車が突っ込んできて、私、逃げられなくて。死んでしまったかと。と、言いますか、その、私の名前は広瀬ではなくて、杉野と言います。あ、でも、どうやら死んでいないようですね、私。あの、ここは、どこですか? まさか、やっぱり死んでしまって天国にいるとか。壁もテーブルも椅子も白くて明るい場所みたいだし」と、しどろもどろしながら言うと、目の前の男性がどう対応したらいいのかと、困った表情になった。

「ごめんなさい。私、混乱をしていて、トイレに行きたいのですが、トイレはどちらですか?」

 私は、男性の胸元にある名札に目がいった。そこには「藤野茂夫」と書かれてあった。どこかで聞いたことがある名前だが、すぐには思い出せなかった。


 トイレの洗面台の前に立つと、鏡に写った自分の姿を見て息を飲んだ。

「嘘でしょう?」

 鏡の向こうに立っていたのは、20代の私だった。

 頬に触れてみる。見慣れていた50代の頬の感じとは明らかに違っていた。失ってしまった張りを感じる。右のほうに顔を向ける。左側の頬骨の上あたりにあるシミを確認する。が、なかった。次に、両方の手の甲を確認する。細かにできてしまったシミは見当たらなかった。手の甲にも腕にもかつての艶が蘇っていた。どうやら、本当に目の前の鏡に写っているのは、20代のときの私のようだ。両手を上げてみる。引っかかる感覚もなく、両耳に腕をつけることができた。腕を上げた時に胸元に違和感を覚えた。胸全体が張った感じがするのだ。そのとき、先ほどの男性が私に向かって言った名前を思い出した。「広瀬さん」と言っていた。

 先ほど体験した衝撃に混乱をしていて、全神経がそのことに集中していたのだが、胸の張りを感じたことで、何か大切なことを思い出したような感覚になった。そうだ。私、妊娠したんだった。

「え? ちょっと待って。妊娠?」

 私の中に2つの記憶が存在しているのを感じた。

 記憶のひとつは、54歳独身の私のもの。もうひとつは、28歳の私のもの。28歳の私は、結婚をしている。そうだ。結婚をしたんだ。25歳のときに参加した同窓会で再会した広瀬くんと。高校生の頃、広瀬くんに恋をして、満足に話しかけることもできず、片思いのまま卒業をしてしまったのだった。きっかけは、同窓会の後、広瀬くんから二次会に行かないかと誘われたことだった。54歳の私は、そのとき、どうせ行ったところでと誘いを断った。いや、ただ単に「うん。行く」って言う勇気が出なかっただけだったのだが。28歳の私は、そのとき勇気を振り絞って「うん。行く」と素直に返事をしたのだった。

『25歳のときに参加した高校の同窓会で広瀬くんの誘いを素直に受けていれば、今頃、もしかしたら』っていう想像は当たっていたんだ。


「あ、パラレルワールド」

 だとしたら、54歳の私が生きていた世界では、突っ込んできた大きな車――おそらくトラックだったのだろう――と衝突して死んでしまったのかもしれない。実際にどうなったのかを知るよしもないけれど、あの衝撃で生きていられることはほぼないだろうと思う。すごく大雑把な推測でしかないけど、その衝撃で私は別次元で生きている私と繋がり、同化したのかもしれない。多分、別次元にきたのだ思う。ただ単に過去に戻ってきたのではないんだと思う。だって、54歳の私が28歳のときは独りぼっちで妊娠なんてあろうはずもないから。


 私が今いるここはディーラーで、購入した車の6ヶ月点検のために訪れたのだった。主人である広瀬は、会社に行っているから、私が代わりに車を運転してきたのだった。28歳の私は、結婚を機に免許を取ったのだ。あの窓際の席は、いつも私が座っている場所で、何故だか好きな場所なのだ。さっき、目の前に座っていた男性は、私たち夫婦を担当してくれているスタッフ。赤ちゃんを授かったということを伝えると、「おめでとうございます! 実は、私も数日前に息子が生まれまして」と、教えてくれたのだった。名前を尋ねると、「智紀」と字を書いて見せてくれた。54歳の私がときめいたあの藤野智紀さんのお父さんだったのだ。藤野智紀さんは、ご家族のことも話してくれたことを思い出した。ご両親の名前も。そうだった、お父様の名前は確か「茂夫」さんと言っていたのだった。私は全身に鳥肌がたった。54歳の私が出会った藤野智紀さんと、この世界に誕生した藤野智紀さんとでは、ちょっとずつ何かが異なるのだろう。今後、彼が成長していく中でする様々な選択によって、あらゆる可能性のある人生として別次元で枝分かれし、それぞれに形づくられていくのだろう。


 54歳の私の場合は、欲しかった過去を手にすることができた。独りぼっちだったが自由を満喫し、経済的に自立をして手に職を持った人生を28歳の私は間接的にだが知ることができた。

 今こうしている間にも、別の次元では別の私が創られ、再現されていくのだろう。それらのすべてを知ることはできないし、想像すらつかない。あらゆる可能性のある人生パターンを<私>たちは体験し、<ひとつの私>として統合された存在っていうものもいて、それらのすべてを静かに観察しているのかもしれない。

 そういうふうに考えると、独りぼっちだった54歳の私の人生も決して惨めなんかではなく、掛け替えのない体験のひとつで、それを体験してくれた54年間に感謝の気持ちさえ湧いてくる。54歳の私が夢見ていた広瀬くんとの結婚生活を果たし、妊娠もすることができた28歳の私の人生だって、この先何が起こるか誰にもわからない。でも、いろいろな可能性をもつ<私>たちが、いろいろな体験を皆で手分けしてやってくれるのだ。そう思うと、気持ちが楽になる。だから、常に今、私がやりたいと思ったことにトライしてみようと思う。それがやりたくてもできない<私>がどこかに存在しているのかもしれないから。

 ひとりひとりの人生にとって、これが正解、これは間違いということは一切ないと思うのだが、せっかくこうして新しい私として生まれ変わることができのだ。これからの人生でするすべての選択を後悔のないように、そのときどきの本音に耳を傾けて、素直に従うようにしようと決めた。

 もし、無事に生まれてきてくれたら、ママがした体験をあなたにも伝えるねと、お腹を撫でながらトイレを後にした。


 藤野さんは心配をして待っていてくれた。もう大丈夫ですと伝えて、窓際のテーブルじゃなくて、窓から離れたテーブルに移って小説の続きを読み始めた。私のように、別次元を生きる自分と同化をした人って他にもいるのだろうか? そうだ。私の体験を書いてみようかな。イラストレーターとして独立した人生を送った54歳の私もいたんだし。私にも何かができそうな気がしてきた。今までに小説というものを書いたことはないけど、この人生で小説家としての私の可能性があるかもしれないじゃない?と、思うと途端にワクワクしてきたのだった。

 ふと、窓のほうを見ると雨が止んでいて、黒い雲の隙間から青空が顔を覗かせていた。また暑くなりそうだ。でも、28歳の私は、実は自己主張をする夏の空が大好きなのだ。秋よりも夏のほうが好きだったりするのだ。立秋はとっくに迎えて、暦の上では秋なのだが、まだまだ暑い晩夏を心ゆくまで堪能しよう。そして、54歳の私が好きだった晩秋も楽しみに待っていよう。

 晩夏か。あ、『晩夏に生まれ変わる』。小説のタイトルはこれがいい。これにしよう。




おわり

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